我が家の夕食

たまには手抜きでスーパーで買ってきたにぎり寿司の夕食です。この日は寿司の日ということで2割引きで売っていました。いつもは800円の寿司だそうですが1人前が640円、まあまあの味でした。家で作るとすしの材料をそろえることが大変です。場合によっては不経済になるということですしの場合はどうしても外食になりがちですが、たまにはスーパーで買ってきたもので簡単に済ませることもあります。何しろ寿司が好きなものですから1週間に複数回は寿司を食べています。寿司って食べた後にあまり体重が増えないのです、おそらく油ものが少ないことが理由なのでしょうが今晩も好きな寿司と盃一杯のワインの夕食を感謝しながらいただきました。


私の“見聞読“
私の掲示板日記から
“とある掲示板”ですが著作権とプライバシーを尊重して私の発言のみをコピーペーストで抜粋したものです。

●本日はアルツハイマー病について書きます。
テレビ朝日のテレビ番組ドキュメンタリー宣言で南田洋子さんのことが放送されていました。
南田さんといえば頭のよさそうな上品な方で魅力的な女性との印象が強いのですがあの南田さんがアルツハイマー病で介護される状態の生活をしているという話を聞いてテレビに注目をしました。そこには排便まで面倒みてもらう南田さんの姿がありました、人間って悲しいものですね。
「3年前から南田さんに心身の変化が出始め、2年前に映画出演の際、セリフが覚えられず「私、誰だっけ」と口走り、長門さんが女優引退の引導を渡した。今は認知症のような症状が著しくマンションの自宅で夫が妻の介護をする日々。その様子がリアルに映し出される。
 長門さんは「憶測であれこれ書かれるより、この病気の本質を正しく知ってもらいたかったので、テレビ朝日に取材してもらった。今は楽しく介護させてもらっている」と気丈に語る。今後も追跡取材を続け、効果的な治療に挑戦する姿を同時進行で紹介していく意向だ。」 毎日新聞 2008年10月24日 東京夕刊」

アルツハイマー病にならないようにするには生活上ではどうしたら良いのかということですが一般的な話ですが次のようなことが書かれている資料もあります。(Wikipedia) 掲示板やブログによく調べ考えて作文することは効果がありそうですね。
・食習慣では、魚(EPADHAなどの脂肪酸)の摂取、野菜果物(ビタミンE・ビタミンC・βカロテンなど)の摂取、赤ワイン(ポリフェノール)の摂取などが本症の発症を抑えることが分かっている。1日に1回以上魚を食べている人に比べ、ほとんど魚を食べない人は本症の危険が約5 倍である。
・運動習慣(有酸素運動で高血圧やコレステロールのレベルが下がり、脳血流量も増す)も発症の危険を下げる。ある研究では、普通の歩行速度をこえる運動強度で週3回以上運動している者は、全く運動しない者と比べて、発症の危険が半分になっていた。
・知的生活習慣も発症の危険を下げる。テレビ・ラジオの視聴、トランプ・チェスなどのゲームをする、文章を読む、楽器の演奏、ダンスなどをよく行う人は、本症の発症の危険が減少するという研究がある。

●本日は文化祭の話を書きます。
昨日、町の文化祭を見てきましたが今年の文化祭も去年と同じような内容でした。そして昨年もその前の年と同じような内容でした。その前の年も、その前の年も、、この町の文化祭を毎年のように見ているのですが大体同じような内容でづっとづっと続けられています。
住民の文化活動の発表の場なのでしょうがマンネリの極み。絵があり写真があり工芸作品があり、今年も知っている方のいろいろな力作がいっぱい展示してありましたがそれらを見て安心する祭になっているような感じです。あの方もまだ頑張っているのだなー、すごいねー、時間かかっただろうねーという感じです。何人かの人と談笑しながら一通り見てきました。
実はそれでよいのかもしれません、マンネリとは人々に安心感を与えるものであるというような話もあります。例えば隣の町や市の文化祭を見に行くかというとそんなことは普通の人はやりません。
展示してある芸術作品の価値を専門家と比べても仕方がない話なのです。本人とごく限られた人の間のお祭りなのでしょう。

素朴な疑問ですがこのような文化祭的な催しに対してお金が使われるわけですから批判的なものはないのですかね、ちょっと興味がわきます、ネットで調べてみますか。
ある! ある! ある! 皆さん感じているのですね。 でも新会員募集の場ですとか知っている人同士の交流の場ですとかいう話で毎年毎年人気はなくなっているのですが続けられているという実態が予想通り明らかになってきます。そして続けられる裏には一部熱心な人の存在も見えてきます。
昨日見に行った限りではそんなにお金を使っているようにも見えませんでしたので作品を展示したいという人がいて見に行く人がいれば今後もまだまだ続くのかなと感じながら見物は早々に切り上げ適当な食べ物を探してひなたぼっこしながら人の動きを眺めつつ1人もぐもぐと昼食を食べてきました。

●本日は市町村合併の話を書きます。
私の住んでる町でも最近合併の話が首長と議員レベルでまとまりそうだということで時々話題になっています。前回も組み合わせは違うのですが隣接する町同士で合併しましょうという話になりましたが住民投票で否決されましてだめになったことがあります。
その経緯はよくは知りませんが合併した後に自分はどういう立場で生き残れるかと計算するとあまりメリットがない、もしくは自分の存在の場がなくなってしまうのではないかと考える人が当然いるわけでまとまらなかったのではないかと想像するわけです。
そもそも合併による住民の利害損得はどういうものか基本に戻って考える必要があると思います。
2チャンネルで書き込まれている事例をコピーすると
「財政論で言えば、自治体合併の最大の利点は経常的経費の削減だな。 二次的な利点は、投資的経費を広域的にプールして効率的に運用できることや、 自治体毎に運営される各種事業の統合による負担とサービスの平準化とか。 逆に欠点は、地理または慣習といった物的人的環境に対する柔軟性の低下と、 周辺地域のインフラ整備縮小に伴う空洞化とそれに伴う都市の過密化。
都市とその周辺との役割分担が明確になる事は間違いないだろうけど、それを 是とするか否とするかはそれぞれの立場思想で随分異なることになるだろう。 ただ、行政機構の変化に伴って社会が変わるのではなく、社会の変化に対応して 行政機構の変化が求められている以上、破綻財政のツケ払いだけを目先の目標に 据えるような馬鹿な構想だけは立てないで欲しいもんだ。」
昨日も老人福祉センターですでに合併が終わった市の方と話していたら合併してよくなったものは何もありませんというような話をされていました。首長や議員の数が減るということは考えられますがそれがどういう形で実施されるのか、合併して物理的に不便になるものはないか、例えば交通機関はどうなるのか、投資の集中ということはどこにどんな形でなされるのか、高齢化の動きと広域化は住民にかえって不便を強いるものにならないか、料金が上がらないのか、合併すればどうして発展するのか計画はあるのか、なぜ前回はだめで今回は良いのか等々これから聞きたいことはいっぱいありますがまあ下々には満足な形で知らせられることはないだろうなと思っています。



私のアルバム
みかも山もすっかり冬の準備の景色になっています。
山の木の葉っぱも赤く色ずいてなかなかのものです。登山道も人けが途絶えると寂しさが増しもうすぐ冬になるんだなぁと景色の移り変わりを感じさせます。