我が家の夕食

近所の方からアユをいただいたのですがおいしかったのですが骨が少し硬かったのです。今までアユの骨の硬さなど気にしたことはなかったのです、なぜ骨の硬いアユになるのか調べてみました。いただいたものですから本当の理由はわかりませんがネットでは次のように書いてあるページがありました、なるほど。
「鮎は、水温の高い川に育つと骨が硬くなるのである。先年、ある学者が、鮎の味は水温の高い川で漁(と)れたものに限ると何かの本に書いたことがあるが、私はそれを読んで学者は学者らしいことを言うものだと、思ったのである。
 冷たい水を好んで棲む魚は、どれも骨が柔らかである。山女魚(やまめ)も、岩魚(いわな)も、鱒(ます)の子も。――骨を除いて食べるようでは、こうした魚の真の味を知る人とはいえないのである。最近知ったことであるが、榛名湖で釣れる公魚(わかさぎ)は本場の霞ヶ浦でとれるものよりも、骨が柔らかである。これも榛名湖の水温が低いためであろう。」
そんなわけで魚がいっぱいの本日もおいしい夕食でした、ごちそうさまでした。


私の“見たり聞いたり読んだこと“

★本日はリビングストンの話です。アフリカ探検のリビングストンですね。ウィキペディアによると、
「アフリカではスルタンたちによって公然と続けられていた奴隷貿易による搾取を廃絶するために、中央アフリカの交易ルートを探索する意図もあった。1854年4月にコンゴ川を通過した一行は、5月31日に、南大西洋沿いの都市ルアンダに到着。熱病と飢餓と赤痢に苦しみ、半死半生の状態であったリヴィングストンは、休息も兼ねてルアンダから王立地理協会に探検の報告を詳細に記述した手紙を送り、この手紙がもとで1855年にはメダルを授与されることとなった。この旅の途中、再三奴隷商人達から非常に親切な助けを得たため、リビングストン本人は苦悩している。」

私は雑誌ニュートンの2004年6月号の中のもりいずみさんの書かれた人物科学誌で“アフリカ中央部の地理を明らかにしたリビングストン”という記事を昨日読みました。
いま世の中が不景気になってしまってどうにもならないいやなム-ドが漂っています。NHKテレビなどを見ているとゴルフの石川選手などを取り上げて懸命にスター探しをやっていますが所詮スポーツ選手でスター作りをしても世の中はよくはならないでしょう。むしろ発明や発見によって多くの人に実益をもたらすことが大切なのではないかと思っています。リビングストンは(1813年-1873年)ということですから約200年前の人ですね。一般的な人物史は多く語られていますからわたしがもりいずみさんの文章を読んで感じたことを書いてみます。

子供の時の生活は決して豊かではなかったのです、10歳の時から紡績工場で働きながらグラスゴー大学に入りギリシャ語・神学・医学を学び博士となったというから人の数倍も努力して才能も豊かな人だったのでしょう。アフリカ探検に要する費用はどのように工面したのでしょうかコロンブスの場合もイサベラ女王というスポンサーがあったわけですがリビングストンの場合もビクトリア女王というスポンサーを見つけて援助してもらったから大きな仕事ができたのだという理由があったようです、そしてビクトリアの滝という命名も権力者に取り入ることのうまさを感じさせます。奴隷貿易で儲けているアラビアの商人と現実的に妥協して食料を得ているというくだりからは融通性と要領の良さが探検の成功と名声ももたらしたのかなと感じました。


私のアルバム
みかも山の東口歩き始めるとから5分ぐらいで今回の写真に撮った景色に出会います。
紅葉ももう最後ですね、ところどころに赤い葉っぱが最後の美しさを競って色ずいていました。休憩所の東屋も光が当たっていますが少し寒そうです。
http://www.park-tochigi.com/mikamo/2008/04/post_23.php